偶然なんてない
偶然:ふと思いがけず/予告と結果の因果関係が分からないから予期できない
その結果思いもしない事が起こる
必然:必ずそうなる。それ以外あり得ない
って意味らしいです。
最近思うんですけれどもね、偶然なんて無い気がします。
全部必然。
ただし、その小さなきっかけに気づく事ができなくて、失敗したり怪我したりその他色々悪い事に繋がる。
そんな気がします。それに対して、私だと言い訳する訳です。
でも、よく考えるとそうなる事を予測できる材料というのが色々転がってる訳です。
それに気づける様な人は悪い事を良い事に変えたりするんでしょうね。
私もそういう人になりたいと思います。
言い訳をするのではなく、失敗から何かを学び次に活かせるように。
そして、物事が起きる前に判断材料に気づく事ができる様に・・・
言葉や文章、頭で理解するのはとても簡単なんでしょうけれども、実際に行動に移すのはとても難しいんでしょうね。
桜
4月、一番最初に頭に思い浮かぶのは桜です。
私の住んでいるところだけなのか、他のところもそうなのかは分からないですが、川辺に行くと、両脇に桜の木が植わっていて4月一週目の終わり位から見頃になります。
でも、私桜の花があまり好きではないんです。
桜の木自体は好きなんですけれどもね。
だから、桜で一番好きな時期は?と聞かれると少し困ります。
あまり共感されないもんで。でも、個性があるから私はそれでいいと思っています。
私が一番好きな時期は5月の2週目。
咲いてた花がすべて散って青葉が伸び、その青葉が少しずつ深緑を増していく頃何ですよね。
その頃にお散歩に行って、桜の葉の間から木漏れ日がさすのを見るのが好きなんです。
生命力に溢れている様に見えるから、だと思います。
生きてるって感じがします。
という事を、懇切丁寧に説明したら大概の人は気絶しているんですよね。
でも良いんだ、言いたい事言えたし♪って私は満足します。
謝るということ
何のために謝るのか?
人に許してもらう為?それとも、その場を凌ぐ為?
私は両方違うと思うんですよね。
私にとって謝るという行為は
『自分の非を認め、相手に詫びる為』
にするのだと思うんです。
そして、次からはどうするのかを相手に伝えて、それを破らない様に頑張る。
謝る、というのは言葉であって行動ではないから、行動でもそれが伝わる様に頑張る訳です。
論より証拠。言葉より行動を信じる。
口では思っていない事でも平気で言える。嘘もつける。
だから、行動を見る訳です。
そして、行動に偽りがないのを確認してはじめて
『あ、本当だったんだな』
と思える。
私にとって謝るというのは、そこまでで一括りなんですよね。
安い謝罪の言葉なんていらない。行動で示せ。
言葉に耳を傾けるけれども、最終的な判断は行動なのだから。
最近のテレビ番組は面白くない!
最近テレビはあまり観ないので、少し前の話になります。
間違っていたらごめんなさい。
お笑いのレベルが下がってきている様な気がします。
そもそも、お笑い養成所に通って、お笑いの事を勉強して、そして客前に立ってネタを披露する、というのが間違ってるような気がして。
お笑いって、学校に行って勉強するものなのでしょうか?
自分の中で面白いと思う芸人さんのネタを只管マネして、セリフを覚えて、間をマネして、テンポを勉強して・・・
全て、ネタ番組やお笑いのDVD、新喜劇で事足りる様な気がします。
そして、ネタを披露してくれてる時代と今の時代を比べて、
『ここなら、今でも通用する。ここはあかんわ』
というのを選別していき、最後は自分のオリジナルを混ぜ合わせるものなんじゃないのかなぁ?
まぁ、ズブの素人がこういう事を言うのは間違えているのかもしれませんけれどもね。
話し戻します。
最近、昔の番組を見ていて。
『行列の出来る法律相談所』
『ヘキサゴン』
『お宝鑑定団』
『松本紳助』
・・・etc
ヘキサゴンはもう残っていないですが、残り二つは今でもありますね。
要するに、島田紳助さんが司会だった頃の番組を見ているのですが、
やはり物凄いですね。
トーク力、知識力、回し方。
今の司会者さん達では太刀打ちできないなぁ、と思ってしまいます。
紳助さんは絶妙ですね。常に全力投球で話しておられる。
今のテレビ番組というと、どちらかというと『のほほ~ん』と置きにいったり、『ゆる~く』やったりしていますが、それとは違いますね。
後・・・裏方の人をいじる事があまりないのも素晴らしかったです。
今の番組は司会者が裏方の人をいじったりもして、視聴者からしてみたらあまり面白くないんですよね。
『裏方さんがいての番組なんだろうけれども、視聴者からしてみたらそんなの知らねーんだよ!!』
と思ってしまいます(-_-;)(私だけかもしれないけどね)
引退した時に、メディアも世間もえらく批判してたけどもさ。
確かに、暴力やらしていたらしいけれども。
私的には、ヒール役をわざと買って出ていたあの人らしい最後だったのかなぁ、と思います。
そして、あの人の代わりにヒール役になりそうなのを探さないと、とテレビ局が頑張って探してきたのが、坂上忍?とかいう人なのかなぁ。
私はあの人がどんな人なのかは分からないけれども・・・
取り合えず、昔みたいに番組が面白くなってくれたら嬉しいです。
・コマーシャルばかり
・内輪話で盛り上がってる
・街ブラでのグルメロケばかり
は、未来がない気がして仕方がありません。
誰かがやってくれている。
1.誰かが殺し
2.誰かが血抜きをし
3.誰かが皮を剝ぎ
4.誰かがお腹を切り開き
5.誰かが内臓を取り出し
6.誰かが残った皮を全部剥ぎ
7.誰かが部位毎に切り分けて
8.誰かがスライスして
そして、私達がスーパーでお肉を買ってるんですよね。
等価交換の意味も含めてそこにお金が発生しているんでしょうけれども、
動物として生まれたのだから一度位はこの過程を全てやってみたいです。
『お腹が空いたから食べる』というのではなく、
『生きる為に食べる』という事をしたい。
お腹が空く=生きる為、という風に考えてしまうかもしれませんが、それは違うと思います。
説明は難しいですが、
『お腹が空いたから』というのは『死』が遠くにあるイメージ
『生きる為』というのは『死』が近くにあるイメージ
そんな風に私は考えます。
人間も動物なのだから、他の動物に襲われても仕方がないと思います。
生まれる→死ぬ、までのサイクルというのは生き物はみんな一緒です。
その中で、人間だけがそれを恐れ逃げようとしている様な、
そんな気がして仕方がない。
もしかしたら理性があるからなのかもしれませんが。
私は、動物として生まれたのだから、生きる為に相手の命を奪い、そして食す。
それをしてみたいです。
そこには逆に命を奪われる危険があるかもしれませんが、それは生命のサイクルとして仕方のない事なんで何とも思わない。
そういう事を経験しておかないと、人間として、というよりも生き物としてダメな気がします。
道をひらく
親友からずっと前に借りた本
『道をひらく』というタイトルのとんでもなく堅苦しそうな本。
あまりにも堅苦しく感じるから、ずっと放置していたんですがおろそろ読んで返さねばと思いましてね。
重い腰を上げて読んでみた訳なんですけれども。
うん、最初の方は面白かったんですよ。
そして今、中盤に差し掛かろうとしているんですが、
何だか、綺麗事が沢山書かれてありましてね。
地球上の人間、いや、日本人か。
全員が全員こんな考えだったら、えらくしんどい世の中だろうな、というのを心の底から思います。
やっぱり、今位が丁度いいんでしょうね。
物凄く賢い人がいて、人を引っ張る人がいて、それに引っ付いていく人がいて、従う人がいて、従われる人がいて・・・・
著者の『松下幸之助』という人は凄い人だったんでしょうけれども、
十人十色、色々な人々がいる世界の方が素敵だと私は思いました。
無駄な才能
別に音楽を流してる訳でなければ、聞きたいと思う訳でもないのに脳が勝手に音楽を拾う事があります。
知ってる曲が流れる事もあれば、全く知らないクラシックが流れる事もある。
歌手が歌っている事もあれば、メロディだけが流れている事もある。
私は音楽には興味がありますが、音符も読めなければ、楽器が演奏できる訳でもない。
だから、この数多の曲を紙に書く事ができないし相手に伝えるのも難しい。
でも、凡人の私でさえ、こんなにも脳が曲を拾うのだから、皆さんも大なり小なり曲を拾っている様な気がします。
ただし、こんな体験した人今までに聴いた事はないですけれどもね(-_-;)
『曲はここにある』といって、頭を指差したのが印象的だったんですが、それと一緒なんでしょうか?(烏滸がましい限りですが(-_-;))
音符書けて曲が演奏できて、絶対音感があって、皆を纏める事ができたら・・・
相手に伝える事も可能なんでしょうねぇ。
私はこのまま伝える事もなく死ぬんでしょうけれども、伝える事ができたら面白いんでしょうね。
無音の場所で曲が聴こえるというのは、本当に無駄な才能だと思いますが、あっても損はしない・・・のかもしれません。