暇つぶし

休日を持て余してやる事が無くなった時に、仕方なく時間を潰す為に書くブログです。

汚い部屋バンザイ(/・ω・)/

私はよく分からない訳ですよ。

部屋を綺麗にするのが正しいみたいな考え方が。

 

私は、部屋は汚れている方が落ち着きます。

職場の机の上も汚いです。

わざとです。

 

綺麗好きの人達は言います。

『部屋が汚かったり、デスクの上が汚かったりっていうのは、その人の人間性が出ている』

と、あたかも全てを知り尽くしているかの様な顔をして言ってきます。

彼らは言います。

『部屋が汚かったり、デスクが汚かったりしたら、モノがどこに置いているか分からなくなるから、仕事の時間効率が落ちたり変にモノを探す時間が掛かったりするんだよね』

と、あたかも私達は正しい。汚い、散らかしている人達は悪である、位の口調で言ってきます。

 

汚れている方が落ち着く人間である私から言わせてみると、

>『部屋が汚かったり、デスクの上が汚れていたりっていうのは、その人の人間性が出>ている』

ってのは言いすぎだと思います。

汚れているのを見るだけで人間性が分かれば、人付き合いで苦労する事なんてない。

ええ、まぁ、私は汚い部屋落ち着く人間だからそう思うだけなのかもしれませんけれどもね。

綺麗好き人間達は、綺麗な部屋でクリーンな精神を持った人達と、クリーンなお付き合いができるのでしょう。

あ、皮肉っぽくなってしまいましたが次!

>『部屋が汚かったり、デスクが汚かったりしたら、モノがどこに置いているか分から>なくなるから、仕事の時間効率が落ちたり変にモノを探す時間が掛かったりするんだ>よね』

これね、汚い部屋の人間である私の場合(毎回この表現するのが面倒になってきた)

モノがどこにあるか、というのは全て把握しています。

汚い中にも特定のものを特定の場所に置く習慣というのはあるのです。

だから、特になくすというのはありません。

 

上記を踏まえて。

最近部屋を掃除しました。

いえ、違いますね。

部屋を掃除させられました。

私からしたら潔癖とも思える様な人と一緒に。

部屋にあるモノを分類して、それぞれ箱に分けてクローゼットやら机の下といったスペースにモノを片づけていく。

なかなか楽しかったから良かったんですけれどもね。

普段ならどこに何があるか把握しているから、特に何か探したりっていうのは無いんですけれども、びっちり片づけたり片づけられたりしてしまったお陰で、どこに何があるのか分からない。

私は、家の鍵を探すのに30分掛かりました。

携帯用のイアホンを探したけれども見つからず、泣く泣く会社へ向かいました。

あぁ、こんな事なら片づけない方がよかった、とすら思いました。

でも、家に帰ってきた時に部屋が片付いていると何だかそれはそれで落ち着きます。

でも、何でしょうねこの感覚は。

何もない空間に一人ポツンと立っているような感覚。

 

話がだんだん訳の分からない方向に行ってしまいましたが…

取り合えず、私が思う事というのは、部屋が綺麗であろうが汚れていようがどちらでもいいのではないでしょうか?という事です。

できている人間はできていない人間を責める。

これは、世の常なのかもしれませんが、こんな文化は無くなってほしいもんですね。

真に受けるな

『本当に何もいらないからね~(-_-;)』

と言われて、本当に菓子折りを持っていかなかったら

『あら、本当に何も持ってこなかったのね~( ゚Д゚)』

と言われ。

 

『ラフな格好で来たらいいよ~w』

と言われたので、夏という事もあって短パンにTシャツで行くと

『それはいくら何でもラフすぎだよ~(# ゚Д゚)』

と言われ。

 

日本人って何なんでしょうね?

建前を言って本心言わないから、建前の通りに動いたら角が立つ。

それだったら最初から本心言ってよ!

って私なら思うんだけれどもねぇ。

少なくとも、

『本当に要らない』だの『ラフな格好で~』

と向こうが提示した訳だから、怒る権利は無いと思う。

 

でも、向こうからしたら

・こう言われた時は、本心としてはこうなるから、こういう風に行動するだろう

ってのが、分かってて当たり前。

だと思ってるんでしょうねぇ。

私には無理ですがね。

私は本心のままに生きているので。

なので、思った事をそのまま言っちゃう質ですので、そりゃもうよくケンカしました。

 

頭の悪い同い年の子に対しては『頭悪いねw』と言い。

頭の良い同い年の子に対しては『頭良いねw』と言い。

細い子に対しては『ガリガリだね。まるで棒みたい』と言い。

太い子に対しては『ぷよぷよだね。まるで餅みたい』と言い。

黄色い服を着ている子に対しては『ひよこさんだ~w』と言い続け。

黒い服を着ている子に対しては『カラスさんだ~w』と言い続けました。

 

最後の二つに関しては未だに言ってしまいますが、

それ以外に関しては言わなくなりました。

思った事をそのまま言うと相手がお怒りになる事が多いというのを子供の頃に学んだんで。

 

話が脱線してしまいました。

やはり何か大切な事や挨拶に行かなければいけない時は、

先方の言う事なんて聞くべきではないんだな、と思いました。

やりたいようにやる。

自分が満足できる様に。

『私ってできるやん♪かっこええやん♪こんな事できる自分って素敵やん♪』

と、自分を客観的に見た時にナルシストになれる様な事をしていれば、取り合えず相手にも角が立たずに上手い事立ち回れる。そう思います。

北朝鮮(ミサイル発射実験part4?)

最近物騒ですね。

北朝鮮が北海道を超えてのミサイルを発射して。

以前書いた国民保護サイレンも鳴ったみたいですし。

ニュースで、鳴ってる町中を映してましたが異様な光景でした。

やはり4分で何かをする、というのは不可能だと思います。

ニュースの中では、『Jアラートの落とし穴』なんて言ってましたが。

ちゃんと考えりゃ、以前から気づける事だろう?って内容で…

テレビ観ながらため息ついてました。


今回のニュースや緊急放送を観ていると

『ミサイルが北海道上空を通過』

って内容だったけども、私が気になったのはその後で

『今回は、ミサイルを撃ち落としませんでした。』

って文言。

この語尾、に違和感がありまして。

『撃ち落とさなかった』のか

『撃ち落とせなかった』のか

によって、この先の明暗が変わるなぁ、とね。

個人的には、後者だったのでは??

なんて思う訳ですよ。

何せ日本って準備は得意だけれども、いざ行動に移すとなると時間が掛かるので。

『上からの命令が無かったので、撃ち落としませんでした!』

なんてことになり兼ねない。

で、上は何をしていたかと言うと、

北朝鮮からミサイル飛んでくんねんて』

『いやー、ホンマにー。どうしょっか?』

なんで話し合いをしている間に、着弾!

みたいなね😅


ミサイルを発射してから16分後に太平洋にミサイル着水。

領空外に着弾するから別にミサイルを撃ち落とす必要はない、と判断して撃ち落とさなかった、と国のお偉いさんは言ってましたけどね。

領空を通過しての領空外着弾な訳ですから、撃ち落とすべきだと私は思いました。

予行練習は何度も実戦してるでしょうが、日本の場合、実戦経験はほとんどない訳ですから…ね。


例えば、ミサイルが領海内に落ちたとして、仮に日本の漁船にあたり死者が出たとしても、もしかしたら日本は

北朝鮮を激しく非難する』

だけかもしれない。

そう思うとゾッとします。

大体、ニュース読んだり観たりする度に思うんですが

『非難する』ってなんですか?

ここは学校や会社ですか?

言葉を濁さずに、具体的にどういう事を言ったのかを明確にすべきです。


日本ってどうしてこうも重要な部分を隠すのでしょうね。

隠して、分からないまま。

でも、事は進行していく。

つつましい国ですね。日本は。

『愛』と『期待』(教育)

子供の事を書いたのでもう少しだけ。


『愛』と『期待』は違います。

本当に子供の事を愛しているなら、期待してはいけない。

私達の価値観やエゴを押しつけてもいけないし、体裁のために使うべきでもない。

それらを押しつけられると子供はプレッシャーに感じてしまいます。

そして、大人になった時にそれが分かってしまうと…

だから、将来の事についてに一緒になって考えたりしてあげる時は、子供に決めさせるべきだと思います。

助言は良いと思いますが、こちらが決定するのは良くない。

何故なら、高い確率で本当にその子の事を考えての解答ではないのですから。

私達大人がしてあげるべき事というのは、ある程度育つと後は少ないのだと思います。

ただ、今は過保護に育てる傾向が強いので、どうしても要らないところまで介入してしまう。

その結果、大人になっても親離れできなかったり、自分で考える力が無かったりする。

私は、今の教育(家も学校も)間違ってる所が多すぎると思います。


期待してしまう気持ちも分かりますけどね。

ただねぇ…自分が頑張ってきたから同じものを押しつける、というのは気が引けます。

自分は頑張ってこなかった、というのなら尚更です。

どうして期待してしまうんでしょうね。

私は自分自身の能力値が低いから、期待しないだけなのかもしれませんけど。

子供が

『勉強したいねん。がんばんねん!』

というのなら、全力でサポートします。

もし、結果がついてこなくて失敗してしまったら、フォローもします。

けれども期待はしません。

期待すると、何か望んでしまうので。

結果がついてこなくて失敗した時に体裁をきにしてしまいかねないので。


『私は、あなたの事を愛してる。

だから期待はしない。

と言って育て

『疲れたら帰ってその時はおいで』

と声を掛けて社会に送り出せる様な、そんな子育てがしたいです。

子供の進路について

英才教育と言って
①小学校から私立に行かせ、
②私立中学に行かせ、
③高校では偏差値の高い学校に行き、
④有名大学からの就職。

私、もし子供ができても上記の様な進学の道へは進んで欲しくありません。

私の理想は、
①そこら辺の市立小学校にでも行って、
②そこら辺の市立中学校に行って、
③自分にあった高校に行ってもらって、
④後は自分で決めなさい
上記の様な進学が良いです。

①〜②にかけては、普通の小学校に行った方が良いと思います。
それは…貧富の差や家毎の考え方の違い、そして思春期に現れるガラの悪い、不良と呼ばれる人達を間近でみて、色々な人と接することにより世渡りなり、考え方なりを自然と身に付けることができると思うからです。
多分、本人は身についてるとは思わないでしょうけれども、間近で見ておくだけでも先の人生で役に立ちます。
社会の縮図に幼少期に触れることができる。
それに比べて、私立に行ってしまうとどうしても…上品な人が多い。
しかも、裕福な子達としか関われない。
もしかしたら違うのかも知れませんが、可能性は高い。
そう考えると、子供の感受性を育む為にも、市立に行かせるべきだと思います。

③〜④は、ね。
本人はやる気がないけれども、親が熱心と言うパターンもありますが…
やはり、本人のやる気や自分の背丈にあった場所に行くべきです。
それは本人の為です。
親のエゴに付き合わせる必要はないと思います。

世の中、頭の良い人もいればそうでない人もいる。
お金を持っている人もいれば、あまり持っていない人もいる。
それぞれが混じり合って社会が成り立っているのにも関わらず、勝ち組だの負け組だのと区別すら必要はないと思います。
それにね…この激動の世の中。
色々な情報の飛び交う世の中において、有名企業に就職したからといって、生涯安定という訳ではありません。
ある日突然リストラにあうかもしれない。
そう考えると、勉強もホドホドにして世渡りの勉強やコミュニケーションの取り方の勉強等、生きる術を学んだ方がよっぽど役に立つと思います。

子供ができたら、そこまでちゃんと考えては出さないと。
昔と今では時代の流れのはやさがまったく違うのですから。


バイト

そういえばバイトが決まりました。

前書いた記憶がないので、もう一回書いておきます。

amazonの倉庫で働く仕事です。

物流センターというらしいです。

堺東にあるみたいなんですけれどもね。

未だに行ったことがないので、今からワクワクです。

もう1ヵ月くらいしたら藤井寺にも倉庫ができるらしいです。

そちらに行ってもいいらしいので、なかなか融通の利くバイトですね。

 

それにしても、社会人として働きだしてバイトをする羽目になるとは思ってもみなかったです。

ある程度の給与をもらって、ある程度の賞与をもらって、って思っていたんですけれどもねぇ。

なかなか人生甘くない。

この先も甘くないんですかねぇ。

人生の先輩方に聞いてみたいもんです><。

広告のターゲット層はどこ?

まぁ、個人的に思う事ではありますが・・・

Youtubeに広告代払って、宣伝している会社ってどの年齢層にターゲットを絞って広告出しているんでしょうね。

Youtubeを見ている人って、大体若い年齢層の人が多いです。

若いというのは、20~30代などではなく、10代です。

その人達って、お金を持っていないイメージがあるのですが、どういった経営戦略で広告を出しているんでしょう?

私だったらヒット数の多い個人ブログの人と契約して広告出させてもらう方がよっぽど理にかなっていると思ってしまいます。

 

Youtuberと呼ばれる人達は理にかなった事をしていると思います。

見ている人が10代が大半だからです。

だから、バカな事をしてYoutubeにアップしたら再生回数が増える。

そして、そこから収入が入る。

その結果Youtuberという人達は収益を得る事ができる。うんうん。

 

テレビでコマーシャルという形で宣伝するのは意味があると思うんですけれどもね。

何せ、テレビを見ている人達っていうのは50代から上の人が多いんで。

子供も巣立っていって、一息ついて尚且つ使えるお金が増えた世代。

そういう所にターゲットを絞って広告を出す。

それは理にかなっていると思います。

 

にしても、最近のコマーシャルって車とカードローンのコマーシャル、そして携帯会社のコマーシャルがやたらと多くないですか?

そう思うのは私だけなのかもしれませんが、そういうコマーシャルを見る度に、二極化しているなぁ、と思います。

 

お金を持っている人は車を買う。

⇒売り上げに繋げる事ができる。

 

お金を持っていない人も車を買う。

⇒買いたいけれどもお金がない。

⇒ローンを組む

⇒ローンを組むと考えた時に、ローン会社はウハウハする事になる

⇒ローン会社はテレビのコマーシャルに力を入れる。

 

携帯は言わずもがなです。

皆持ってますしね。

 

結局のところ色々なものが繋がっている、その様に感じます。

そういう観点からテレビを見ると、いつもとは違う見方になると思うので、楽しいかもしませんよ?w